日記 2011年7月上旬

【2011/7/10(日)】

 「曙光」(エレファントカシマシ)(=YouTube)
 (リンク先動画は曲の途中から)この曲は特に歌唱がよい。と感動的な歌だ。(*「曙光」(エレファントカシマシ)(=ニコニコ動画))(要ログインだがこちらはフル版)


【2011/7/9(土)】

 晴れ。梅雨明け。
 昨日に散髪した。後、センター行き。メンバー4人で、年齢について話が及んだ。僕の知っている限りでは、メンバーは、(又聞きもあり、確認した訳ではなくズレがあるかも知れないが)21歳、22歳、23歳(2名)、24歳、28歳(僕)、31歳、40歳。見るからに10代な者もいるが、その年齢は知らない。
 ……そう言えば、同年代と思っていたA(現在はセンターから離れたよう)は、34、5歳らしい。Sもそうだが、容貌は若く見える。髪型や服装もあるだろうが、世間に揉まれていない顔だからか。(年より若く見られたことがあるのは僕もだが)


【2011/7/6(水)】

 昨夜に地震があった。震度2か3かなと思っていたら、今朝新聞を見ると、「和歌山で震度5強」とあって驚いたが。揺れるところでは揺れたんだなあ。(*「交通事故死より高確率 中央構造線の地震発生」(=わかやま新報))
 ちょっと右目が痛い。


【2011/7/5(火)】

 昨夜に雷雨、今日は晴れ。
 昼からセンター行き。イベント時のユニフォームにすると言うことでTシャツを染める(絞り染め)。手先もピンクになった。
 今日から蝉が鳴いている。


【2011/7/4(月)】

 薄曇り。風がある。
 昼にカツ丼を作って食べる。合わせて発泡酒も。上半身裸で汗を掻きながら食べた。ちょっと食べ過ぎた。


【2011/7/3(日)】

 これまでも日記で断片的に書いているが、僕はニート・引き籠もりは倒錯した労働形態だと思っている。またワーカホリックとニートを同一視するのは、彼ら(僕もその内の一人だが)が労働(もっと言えば社会性)への観念を共にしていると見るからだ(発生原理が同じ)。
 それで、僕はこうした認識を得て、観念を相対化し、ニートをする動機を失った、が自分でも怪しんでいたが、現状、僕は無職だ。(ニートとワーカホリックが同根と言うことは、ニートであることを支える労働観を失うことは、そのまま、その労働観での労働への動機を、つまり労働への動機付けの型を一種類失うことでもある)

 一昨夜、シンプルに就職を自分に引き付けて捉えてみたのだが、ぞっとした。同様に、それを昨夜に改めて検討したら、僕は働くこともそうだが、差し当たって、より就職活動が嫌らしい。面接とかね。
 またそこから、僕が平生疎んじている、いくつかの生活上の他者との接触の場面(電話、散歩中に人とすれ違うことなど)が連想された。

 僕がそれら他者との接触を嫌うのは、要するに厭人主義に根差しているが、僕には他者の主体性が耐え難いのだと思う。因みに労働より就職活動に忌避感があるのは、単純に、順序としてそちらが先立つからだろう。
 厭人主義とは、「私」を物の基礎とし、それは個人主義と近いようだが、全く隔たったものだと(今更ながらに)確認された(別に厭人主義の定義など無いのだが)。僕は、自分である程度、身辺状況を把握してみて、そこに我が身の弱々しさを見た。

 そこで、働くって何よ? と言うか、生きること、人生の問題が立ち上がってくるようだ。

 昨夜はこの先までもう少し考えたが、思考が錯綜して取り留めが無くなったので、今日はこの辺で終い。