日記 2012年1月上旬

【2012/1/10(火)】

 読書、センター行き、買い物、オナニー、PC操作、アニメを見る。

 晴れ。爽やかな陽気だ。布団を干す。


【2012/1/9(月)】

 23:44だ、寝よう、お休みなさい。今日はこの辺で終いだ。

 ゲームする、競馬する、最近は白鶴まるを買って飲んでいる。
 やはりどうも問いに答えがたいような一日、と日記だ(日記の書き方が分からない気がする)(これは僕の強迫的な性格の為でもあるだろうか)。少し嘆息する、消耗する。


【2012/1/8(日)】

 朝、思いの外すっきりして起きる。オナニー、昼、PCする。ゲーム、夜、アニメ鑑賞、ネットする。飲酒。そろそろ月が円い。


【2012/1/7(土)】

 岩出行き、買い物する。寝不足気味で少し怠かった、目がしょぼしょぼした。

 久し振りにpapiro君のブログを見た。ああ、書いてるなあ、と。
 昨夜から支えながら表現について考える、難しい。


【2012/1/4(水)】

 4日。早い。妹は早仕事のよう。世間も。
 カレーニンはその辺にいるよう。(少し憚って言うのだが……)
 今日は平生通りだと思う。それは答え難い質問のようである(僕はその問いをよく知っている、母親なんかが口にするあれだ)。

● 「風をあつめて」(はっぴいえんど)


【2012/1/1(日)】

 昨夜日付が変わって、除夜の鐘を聞き、他にボンボンと言う火薬の爆発音を聞いた(花火?)。
 雑煮、飲酒、SMT-i9100をするなど。読書メモ(表題)だが、今は、『残光』(小島信夫)を読んでいる。少し前に『「ひきこもり」だった僕から』(上山和樹)を読んだ。こうした読書メモはたまに書くが、結構抜けがある。
 ふと日本人の努力とは(投資でなく)供物のようだと思った。そうであれば努力には被害感情が伴うかも知れない。(日本人南洋土人論的に)日本人にとって出来事・成果とは成すものではなく受け取るものである。努力にしても「報われる」と表現される。
 (日本的)努力の構造は二段構えかも知れない。努力が報われるものなら、同じ論理で、努力を怠れば、報いがある、つまり罰が当る。努力は報い、災厄を断ち切る為のものでもあるかも知れない。
 犠牲を払う先は、卑近な例では、社会だろう。
 徒然と書くが、世間で社会的失敗者は自己責任であると言うのは、それは罰が当ったのである。そして世間は(被害(感情)を被ってまで)努力をしているので、失敗者=災厄を断ち切る為、無情だ。