日記 2020年8月下旬

【2020/8/31(月)】

 仕事行き。先日の面接者、合格のよう。と今日は31歳の・おそらくメンタルに問題を抱える女性がパート面接に来た。面接時にそのような話が出たらしい。履歴書空白10年は短い時間ではない。本人も親もきついなあ。


【2020/8/30(日)】

 休み。連休。
 昨日夕方から、半年ぶりに祖母面会行き。玄関で検温あるも、Tと2名で居室へ通される。
 食事中。ミキサー食。目は合う。嚥下難しく、しばしば咽る。うーん、辛かろう。ほんの短い滞在時間。最後の方、何事か話そうとするも、もはや意味の通る文を最後まで言いきること叶わず。辞去。思ったより顔色は良い。他方で痩せたという(T談)。布団をめくれば腕などは注射痕で痛々しい風だろうか、などともちらと思う。
 後、実家行き。すき焼き呼ばれる。盆なども行っていなかったため、振替のようだ。聞いた話では、義弟は未だリモートワーク中らしい。うらやましい。しかし朝早く起き、通勤電車から解放されたのは良かったろう。


【2020/8/29(土)】

■ 政治の徒労化と表現の脱政治についての覚え書き
 世情、どうやら安倍退陣お疲れ様ムードらしい。そうなのか。TVの街頭インタビューなどでも、まあフィルタリングされてるのかもしれないが、紋切り型の答えが返ってくるのかもしれない。
 紋切り型もしくはマニュアル的と言ってもいいかもしれないが、そうした均質的な表現達が社会のあちこちで目につくようになった。ポリコレという概念が社会に浸潤し、それに反すること、というか感覚的には目立つことを言えば、SNSなど顕著だが炎上するらしい。雉も鳴かずば撃たれまいということなのか、要は中身のあることを言わないのが、肝らしい。
 反面、ここでねじれが存在するようで、つまり炎上商法という付加価値の在り方が存在している。理路としては単純と思われ、炎上させるための対価が無料で、かつ対象者に均質化された言説のなかでの希少性があるからだろう。

 僕は表現というのは、人間という存在に根差す以上、ジャーナリズムはもとより学問・文学・美術その他含めて、皆、政治そのものであると思っている。付言、そうした表現に選挙や議会という枠組みを与えれば、そのまま分かりやすく政治になるという理解である。
 均質化した表現というのは、それが検討され、よりよく変化するコミュニケーションの機会を逸していることから、政治的にはまさに徒労である。代り映えがないというか、何を言っても言わなくても同じなら、表現すること――政治に与する動機付けができない状態ともいえる。

 ところで、ここまで書いてきて思ったが、今の日本社会は、その運営コストを下げてばかりの印象を受ける。社会全体を円滑に回していくための表現の均質化、と言おうか、皆が同じ言葉を話し、出しゃばらず、出しゃばっているものは叩き、平らにし、摩擦を避ける社会。
 そうした合理的な世の中は悪いことばかりでもないはずで、適応さえできれば生きやすくもあるだろうが、そうでない個人は脱落するしかないし、そもそも人間は生身なので経年変化をする。いつまでも社会に適応できる保証もない。一方、社会は変化がないという体のため、両者の相性は悪いだろう。
 政治の徒労と表現の脱政治が進行していると認識している。この流れは止め処ないだろう。すべて表現は衰弱していくだろう。それで良いはずもないだろう。


【2020/8/28(金)】

 仕事行き。暑さのピークを超え、体もちょっと楽になった。35℃を超えてくると、つらい。
 安倍、辞任と。


【2020/8/25(火)】

 また書き忘れ。今日でくるぶしが来てから丸2年。と便宜上の誕生日。よしよし。

 仕事行き。面接者あり。ちょっと気になっていたので、ちらっと見てみる。スーツに鞄はリュック。アンバランス。
 旧職場の上長、入院中とのこと。他、女好きI倉、わりと若い女性職員に対し、盗撮を端緒とし、今や座っていた椅子の残り香をかぐなど、変態行為がエスカレートしている模様。当たりがきつかった僕が退職していなくなったのもあるだろう。


【2020/8/24(月)】

 夏バテと思う。疲労、睡魔。
 昼休み、会社の駐車場でアイドリングして休んでいたら、近隣から苦情来たようで、社内連絡で注意来る。特に僕とはばれてはいないようだが。