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目次
短歌
WABI-SABI
柿ノ木
#4
#5

短歌
切なしは犬と呼ばるる狼の進化の末の家畜の遠吠え
姿見に映す如くに似る姿子鴉は親の後追って歩く
足首隠す広く敷かれた紫の絨毯ほどき蓮花見詰める
雨上がり灰の満天見返らず野鳥はさえずりを一望にまぶす
靴底を客車と定めた雨水は降られぬ場所にも梅雨を織りなす
降り荒ぶピンの如き雨が天地人を留めて現わる梅雨の輪郭
風船がガスを飲み込み飛ぶ如く五月雨の月は蛙鳴にて浮く
柔い身の隅々に埋まる鋼の芯猫よ曲げて伸ばしてにゃあと鳴け
「働け」と業務命令拝受して職務遂行ヒキコモリ(39)
抱き締めてほどける輪郭弄んだら君の血潮が頭蓋に波打つ
物言わず食まず唇だっただけグニグニと重ねて あと、そう、舌も
天高く懐痩せる物欲の秋パソコン・ゲーム機・本・タブレット
ミズバナ枯れた僕の鼻先を蜜蜂が黄色いソックス履いて飛び行く
日が暮れて水面を滑る光る車窓映す鏡は六月の田圃
うしろには道がないのは踏み抜いたから前の道では君が待ってる
法により定められたる婚姻に心たゆたう我、国家主義?
君を待つ昏い車内でチプルソがi love youって歌ってる
12バイトのメール受信がニューロンを巡り震わす「結婚できたね」
入籍の前後で変わらぬ生活も徐々に減りゆく砂時計のように
引っ越氏が疲労携えやって来て して置き土産は新婚生活
飲み忘れ初めて悟るその効き目カルシウムによるこころの安定
わが意識醒めて夢から剥がれしも君に振るった粗野は動かじ
WABI-SABI
 「坊や、その手に持っているものは何だい?」
 「オニギリさ!」
 「オニギリ?」
 「うん、トーヨーのファストフードさ」
 「ずいぶんと丸っこいんだね」
 「ライスを握って作るから、オニギリって言うんだよ」
 「へえ、じゃあそのオニギリは、誰が握ってくれたんだい?」
 「さあ?」
 「誰が握ったか分からないのかい?」
 「多分、誰も握ってないよ」
 「へえ」
 「機械でガシャコンって作ってるのさ、多分」
 「と言うことは、実際には握られていない訳だね」
 「それでも、オニギリさ」
 「WABI-SABI だね」
 「知らない」
柿ノ木
 ひとりの少年が、ある民家の前に立っていた。その民家の、塀と呼ぶにはいささか粗末な木の板を一枚はさんだ向こう側に、立派な柿ノ木があった。少年は柿ノ木を見ながら、顔に触れる風が、この頃急に刺々しくなったと感じていた。
 柿ノ木には発育不良の柿がふたつだけなっていた。十日ほど前に見たときには、枝がしなるほど沢山の実がなっていたのだが、今はこのふたつだけであった。それから十日間、少年は毎日民家の前を通り、塀の向こう側に注意を払ってきたが、その間このふたつの柿が収穫される気配はなかった。
 「つまり、このふたつの柿は要らないということだな」と、少年は呟いた。
 少年の心の内に、小さな、暗い好奇心がむくむくと頭をもたげてきた。彼は別段柿が好きだという訳ではなかったが、その時は何故か、どうしようもなくその貧弱な柿に魅了されていたのである。少年は辺りを見まわし、誰もいないことを確認した。だが結局、彼は柿を盗らなかった。
 「とるのは明日にしよう」少年はここ数日同じ言葉を繰り返し、その日もそのまま家へと引き揚げていった。
 翌日、彼の姿は再び民家の前にあった。そこで彼は、枝の実がひとつだけになっているのと、道路脇の、ちょうど民家の塀の足下を覆うように茂る雑草の中に、柿がひとつ埋もれるようにして落ちているのを発見した。風に吹かれたためか、実のなっていた枝が柿の重みに耐えかねたせいか、いずれにしろ自然落下したらしかった。少年は足早に、しかし出来るだけ静かに、ちょうど鼠を狙う猫のような慎重さでもって柿に駆け寄った。柿は枝から落下したにもかかわらず、柔らかい雑草に受け止められたためか、その姿を昨日から少しも変えることなく、貧弱で不味そうなまま無事だった。
 少年は口から小さく息を吸い、鼻からゆっくりと時間をかけて彼の体内で少しだけ温められたそれを吐き出した。それから素早く辺りを見渡し、往来に人影のないことを確認した。しかし少年が柿を拾おうとした瞬間、突然民家の窓が開け放たれ、間の悪いことに住人が顔を出した。少年は驚き、とっさに柿を掴んで走った。ばたばたと大きな足音をたて、柿を抱きかかえながら走った。
 自宅に戻った少年は、まだ心臓が激しく鳴っているのを止められないでいた。そして、柿が家族に見つからぬよう、それを押入れに隠した。彼は自分の仕事の成果に満足し、こみ上げる小さな笑いを誰にも悟られないよう静かにかみ殺した。
 翌日になって、少年は柿を食べる決心をした。押入れの襖を開けて、柿を取り出すと、それは腐っていた。昨日は極度の興奮のためか、そのことに気付かなかったのだ。
 少年は黙って柿を見つめていたが、しばらくして、それを床に叩きつけた。柿は醜く潰れ、四方八方にその残片を飛び散らせた。
#4
 カチャリと言う音によって、戸に鍵が掛けられたと知れた。その直前に、幼い女の子は扉の向こうに母親の姿が消えるのを認めている。「お留守番頼むわね」そう言って母親は戸に鍵を掛けたのである。それで外気が家の中に入り込む余地はほぼ消え失せた。女の子が自ら戸を開けない限り、家に面した道路からは、その家に誰か人がいるとは分からないだろう。
 「誰か人が訪ねて来ても、絶対にドアを開けちゃダメだからね」その限りにおいて、その家は無人であるも同然だった。
#5
 ふと自分の戴いた生活を顧みたら、僕は静かに・心持ち良く過ごしている。無論のこと、一寸した意にそぐわない事柄や、好まないことの起こるのは、それも人生だろうと、当然のこととして受け容れる。大勢には何の問題もなかった。
 ところへ、目の前にひとりの女の現れたのを認めた。何か怒っている様子で、「どうして昨日は来なかったの? 人気の店を予約していたのに」と言う。はて、と僕は思い、女の顔を見る。一見して美人とは思われない。だが、顔の造りや風体から、愛嬌のありそうな・可愛げのありそうな女ではあった。実際に笑いでもすれば、そうであろうと言う気がする。僕は、ああ、これは自分の恋人なのだなと得心した。
 「ごめん、忘れてしまっていて」僕は答え、申し訳なさの中で、自分は約束を忘れていたのだなと言う気になる。

 僕は部屋で本を読んでいた。その内に腹が減り、何か食うものを買いに出た。道を歩いていて、向こうの方に小さく影が見える。それを認めた瞬間、どうも急に、喉に掛かった魚の小骨が取れないような心持ちになって、動悸がし始めた。歩いていくと、影は恋人であった。僕を待っていたのだと言う。約束をしていたから。そこで初めて、自分は約束を思い出したのであった。彼女は少し俯いてしまって、僕は、約束を破ったことを詫びた。

 道を歩いていて、突如として不安に襲われる。どこかへ、何かしら向かわねばならないと焦燥として思う。しかし、では、どこへ? 当てもなく右へ左へ駆けずり回って、ふと、ポケットから携帯電話を取り出してみた。掛かっても来ない、掛けもしないもので、何をどう考えたのか、“どうして予め番号を交換しておかなかったのか”と言う気になった。
 そこへ、通りすがった物理教師から、「君は恋人と約束をしているだろう、早く行きなさい、場所は××だよ」と言われ、約束のことを思い出した。
 果たして女は待っていた。盛装し、一見、その女かどうか、判然としなかったが、それはやはり自分の恋人であった。女は、度重なった僕の裏切りにいい加減怒ってしまって、手にしていた何か小物を僕に向かって投げつけた。それは彼女の意に反して、明後日の方向へ飛び、見知らぬ人にぶつかってしまった。
 女は、「あなたのせいで、他人に迷惑を掛けてしまった」と言った。成る程、そうだろうと思った。僕が約束を守っていれば、彼女はそれを投げることはなかっただろう。人に当たることもなかっただろう。
 小物をぶつけられた見知らぬ人は怒り、その怒りは彼女に向かった。それで恋人とその男との間で、回避されることのない喧嘩が始まったのである。僕は、何をすることもせず、また、殆ど意識することのない内から、何をすることも許されていないと感じており――例えば喧嘩を止めるとか――、ただ黙って、彼女と見知らぬ男の決闘の始まるのを、悄然として見た。